世捨て人

 の節があると所長は言い、それは正に言い得て妙でした。あの頃情けなさからよく泣いていました。力及ばず、勤まらない事を自覚していた時、恐らくその心中を察した上で「三年やれ」と言ってくれました。私よりも私の将来を考え、身を案じてくれる人がいる。私はまた泣いた。でも、今回は嬉し涙。入社半年のその時やっと 誰かの為の為に働こう と心に思った。でもそれは完遂できなかった。
 
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 私は私の暴君。私の中の者がどうなってもいいと思ってる。ことゲームにおいては暴れまわってめちゃくちゃにしたい。実生活においては自分自身をついどうにかしてしまう。好き放題出来るからだ。猿でも分かる二択で、不利益を被る方ばかりとってしまう。未来視が出来ない。目が悪いから、未来が見えない。未来視とは多感な高校時代に考えた造語で、いうなれば想像力のこと。Aした結果起きるBが見えない。いや、目を背けてしまう。その結果は分かりきっているのに、前もって見ることが出来ない。
 
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 私自身はこの通り頼りにならないが、唯一頼れる物がある。どのような私でさえも許容してくれる空間。この部屋には人のものが多すぎる。それはありがたいことだ。娯楽に浸った身の上、物には未練がある。